配偶者に財産を遺すために―子どものいないご夫婦における遺言書の必要性を解説
「子どもがいない私たち夫婦の財産は、万が一のことがあっても、当然にお互いへすべて引き継がれるはず」。そのようにお考えのご夫婦は非常に多いですが、実はこれは相続実務における代表的な誤解の一つです。
もし遺言書を遺さずにどちらか一方が亡くなった場合、夫婦で協力して蓄えてきた預貯金や、ローンを完済したマイホームなどの大切な財産は、残された配偶者(妻または夫)だけではなく、亡くなった方の「親」や「兄弟姉妹(すでに他界している場合は、甥や姪)」に分配されることになります。
今回は、子どものいないご夫婦を待ち受ける相続手続き上の実務的なリスクと、配偶者を法的に守るために遺言書がなぜ必要不可欠であるのかを、専門家の視点から誠実かつ客観的に解説いたします。
1. 遺言書がない場合、法律上「配偶者以外の親族」が共同相続人となる
民法上、子どもがいない夫婦の一方が亡くなった(一次相続)場合、生存配偶者が自動的に100%すべての遺産を相続できるわけではありません。 法定相続人の範囲と割合は、法律によって以下のように決定されます。
- 亡くなった方の両親(直系尊属)が存命の場合: 配偶者と「亡くなった方の親」が共同相続人となります(配偶者が3分の2、直系尊属が3分の1)。
- 両親などがすでに他界している場合: 配偶者と「亡くなった方の兄弟姉妹(他界していれば、その子である甥・姪)」が共同相続人となります(配偶者が4分の3、兄弟姉妹が4分の1)。
つまり、例えば夫が亡くなり、ご両親がすでに他界している場合、残された妻と、普段ほとんど行き来のない「夫の兄弟姉妹(または甥・姪)」が、法的な共同相続人として夫の遺産を分け合わなければならない立場に置かれるのです。
2. 法定相続分「4分の1」が配偶者の生活環境に与える実務的リスク
子どもや親がいない場合の兄弟姉妹の法定相続分は、全体の「4分の1(25%)」と定められています。 「25%に過ぎない」と思われるかもしれませんが、この割合が残された配偶者の今後の生活を揺るがす深刻な問題を引き起こすことがあります。
【実務上の典型例:不動産の単独承継と金銭補填(代償分割)の難しさ】
夫婦で協力して購入し、住宅ローンを完済した自宅(土地・建物評価額3,000万円)と、老後のための預貯金1,000万円(総額4,000万円)の遺産があると仮定します。夫の逝去後、共同相続人である夫の兄弟姉妹から、法律上の権利である4分の1(1,000万円分)の相続を求められた場合を考えてみましょう。
妻が住み慣れた自宅に住み続けることを希望する場合、不動産を単独で取得する代わりに、他の相続人の取り分を自身の固有財産や預貯金から金銭で支払う「代償分割」を検討することになります。 しかし、遺産である預貯金1,000万円をすべて他の相続人への代償金支払いに充ててしまえば、妻の手元には今後の生活資金が一切残らなくなってしまいます。さらに、代償金として支払う現金が手元に用意できない場合は、最悪のケースとして自宅不動産を売却して現金化し、その代金を分割(換価分割)せざるを得ず、住まいを失うリスクが生じるのです。
また、これら財産の名義変更を行うためには、普段関わりの薄い、あるいは音信不通になっている兄弟姉妹や甥姪全員の合意を得て、署名・実印の押印および印鑑証明書の添付をした「遺産分割協議書」を成立させなければなりません。相続人の中に一人でも非協力的な方や、海外在住で印鑑登録がない方がいらっしゃる場合、実務上の手続きは完全に立ち往生してしまいます。
3. 両親が他界している場合、「遺言書」が配偶者の生活と権利を守る確実な法的方法となる理由
夫婦で協力して築き上げてきた大切な財産が、他の親族に流れてしまうことを防ぎ、確実に配偶者一人に引き継がせるためには、事前に作成する「遺言書」が極めて重要です。遺言書がこれほどまでに強い効果を持つ最大の理由は、「兄弟姉妹には、遺留分(いりゅうぶん)がないから」です。
子どもや親などの直系血族には、遺言書の内容に関わらず、法律上最低限の取り分が保障される「遺留分」が認められています。しかし、兄弟姉妹(およびその代襲相続人である甥・姪)には、法律上この遺留分が一切認められていません。 したがって、遺言書に「私の有するすべての財産を、妻(夫)である〇〇に相続させる」と明確に書き残しておくだけで、兄弟姉妹や甥姪は遺産に対する請求権を持たず、遺産分割協議を行う必要自体がなくなります。夫婦の自宅も預貯金も、そのすべてを確実に愛する配偶者に完全に遺すことができます。
4. 夫婦で準備すべき「たすき掛け(交差型)遺言」と「予備的遺言」の重要性
子どものいないご夫婦において重要なのは、一方から他方への遺言だけでなく、夫婦の双方が「お互いにすべての財産を相手方配偶者に相続させる」という遺言を個別に作成しておくことです。 実務ではこれを「交差型(たすき掛け)遺言」と呼びます。夫婦のどちらが先に他界するかは予測できません。もし夫だけが遺言書を作成しており、妻が作成していなかった場合、妻が先に亡くなると、妻が固有に持っていた財産や親から相続した財産は、妻側の兄弟姉妹との間で遺産分割が必要になります。 お互いの生活を守るためにも、双方が遺言書を1通ずつ用意しておくことが大切です。 なお、夫婦が同一の書面で共同して遺言を行うことは法律(民法975条)で禁止されているため、必ず別個の書面として作成する必要があります。
さらに、一次相続だけでなく、配偶者がすでに他界していた場合の二次相続(その次の相続)も見据えて、財産の最終的な承継先(特定の親族や寄付先など)をあらかじめ定めておく「予備的(補充)遺言」を盛り込んでおくことで、さらに将来の紛争を防ぎ、ご夫婦の共通の意思を確実に形にすることができます。
5. まとめ
「我が家は親族間の関係が良好だから大丈夫」「遺産が少ないから揉めることはない」と、事前の対策を後回しにされるケースは非常に多く見られます。しかし、事前の備えがないばかりに、最愛のパートナーを亡くした深い悲しみの中で、突然発生する遺産分割の手続きや法的な権利主張に直面し、住まいや今後の安定した老後資金の確保に苦慮するご遺族は、決して珍しくありません。
ご夫婦で協力して築き上げてきた大切な財産と、残される配偶者の平穏な生活を守るために、心身ともにお元気で判断能力が十分にあるうちに、法的に有効な「遺言書」を作成しておくことを強く推奨いたします。 特に、公証人が関与し、形式不備による無効リスクを極めて低く抑えられる「公正証書遺言」は、実務において最も確実性の高い選択肢です。
当事務所では、ご夫婦の財産状況の正確な調査から、将来の遺留分や二次相続までを見据えた実効性の高い「遺言書」の文案設計まで、生前対策をトータルでサポートしております。 遺言書作成のご準備や、ご不明な点がございましたら、当事務所までお気軽にご相談ください。
About
この記事について
- 公開日
- 2026.08.18
- 内容確認日
- 2026.08.19
- 監修
- 荒関誠人(行政書士・中小企業診断士)
参考文献・出典
- 民法(法定相続分・遺留分・共同遺言の禁止〔民法975条〕)
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