認知症でも遺言は残せるか?遺言書に求められる「意思能力」の基準と紛争を防ぐ実務的対策

「遺言書を準備したいが、少し物忘れが始まっている。認知症と診断されたらもう遺言書は書けないのだろうか」「後から遺言が無効だと争われないようにするにはどうすればよいか」といったご不安や疑問を抱く方は少なくありません。
遺言はご本人の最終意思を尊重する制度ですが、有効な遺言が成立するためには、作成時に本人に適切な判断能力(意思能力)が備わっていることが大前提となります。今回は、遺言書作成において求められる「遺言能力(意思能力)」の法的な定義、認知症との関係、そして将来の無効紛争を未然に防ぐための実務的な対策について解説いたします。
1. 遺言書に求められる「遺言能力(意思能力)」とは
民法上、遺言を有効に行うために必要な知的能力のことを「遺言能力」と呼びます。これは抽象的には「遺言内容を理解し、その遺言によってどのような法律効果や影響が生じるかを認識・判断できる能力」とされています。
取引上の行為能力とは区別されているため、民法では以下のような特有のルールが設けられています。
- 年齢基準: 満15歳に達していれば、単独で遺言をすることができます。
- 行為能力制限の不適用: 被保佐人や被補助人であっても、家庭裁判所や保佐人等の同意・代理は不要であり、単独で遺言を遺すことが可能です。
- 成年被後見人の特則(民法973条): 成年被後見人であっても、精神上の障害から一時的に事理を弁識する能力(判断能力)を回復した状態であれば、医師2人以上の立会いのもとで、その旨を遺言書に付記・署名押印することにより、有効に遺言を作成することができます。
2. 「認知症の診断」=「遺言能力なし」ではない
遺言能力をめぐる紛争の多くは認知症に関連するものです。実務上、最も誤解されやすい点ですが、「認知症の診断を受けていること」が、ただちに「遺言能力がない(遺言書を作成できない)」ことを意味するわけではありません。
認知症の症状は日によって、あるいは時間帯によって波がある場合が多く(まだら認知症など)、一時点の精神状態のみで一律に判断できるものではないからです。 したがって、以下の「一事」のみをもって遺言能力の有無を断言することはできません。
- 要介護認定の段階(例:要介護度が高いから無効、低いから有効とは限らない)
- 成年後見制度の類型(保佐や補助に服していること)
- 簡易知能テスト(長谷川式認知症スケールなど)の点数
- 主治医による「認知症」という病名の診断書
これらはあくまで判断の一資料に過ぎず、最終的には法的な観点から総合的に有効性が判断されることになります。
3. 裁判実務・判例における「3つの総合的判断基準」
もし死後に「作成当時、遺言能力がなかったため遺言は無効である」という訴訟(遺言無効確認訴訟など)が提起された場合、裁判所は主に以下の3つの観点を総合的に考慮して、遺言時点のピンポイントな遺言能力の有無を判断します。
① 精神医学的観点(医学的知見・記録)
遺言作成の前後における、医師の診療録(カルテ)、看護記録、CT・MRIの画像検査結果、知能テスト(長谷川式スケール)の点数、介護施設が記録している介護記録(ケース記録)などが精査されます。
② 遺言内容の「複雑性」
遺言内容が「すべての財産を妻に相続させる」といった極めて単純で理解しやすいものであれば、多少の認知能力の低下があっても遺言能力は認められやすい傾向にあります。 一方で、多数の不動産を複数の相続人に傾斜を付けて細かく分配したり、複雑な計算や法的な負担を強いるような内容であったりする場合、遺言者がその効果や影響を正確に理解していたとは認められにくくなり、無効と判断されるリスクが高まります。
③ 遺言の動機・経緯、整合性(合理的意思の推認)
その遺言を遺すに至った動機や理由が客観的に自然であるかどうかが重視されます。 例えば、長年親身になって同居し介護してくれた長女に財産を多く相続させるという遺言は、生前の関係性に照らして自然であり、遺言能力が肯定的に働きやすくなります。しかし、介護をしてくれた親族を排除し、ほとんど面識のない第三者や、急に現れて財産を管理し始めた親族にすべての財産を遺贈・相続させるというような不合理な内容である場合、遺言能力のハードルは高くなり、無効と判断される蓋然性が強まります。
4. 将来の遺言無効紛争を防ぐための「4つの実務的対策」
ご自身の健康状態や認知機能に少しでも不安がある場合、のちのご家族間の対立を防ぎ、遺言の法的有効性を確実に担保するためには、生前に以下のような実務的な対策を講じておくことが極めて重要です。
① 作成時点の「医師の診断書」を取得・保管しておく
遺言書を作成する日に合わせ、主治医や専門医に面談・診察を依頼し、「遺言の内容を理解し、その結果を弁識する能力(意思能力)を有している」という旨の診断書や所見を作成してもらい、遺言書と一緒に保管しておきます。
② 作成時の様子を「録音・録画」して記録に残す
特に自筆証書遺言などを手書きする、あるいは公正証書遺言を作成する際のやり取りを録画しておくことが効果的です。 録画の際は、第三者による強要や「はい」「いいえ」だけの誘導的な会話がないことを証明するため、最初から最後まで途切れることなく一連の流れを記録することが鉄則です。
③ 遺言の内容を「極力シンプルで平易なもの」にする
難解な法律用語や複雑な条件分割を避け、日常の平易な言葉を使用し、遺言者本人が確実に理解し説明できる範囲の単純な文面を設計します。複雑な処理が必要な場合は、信託など別の制度の併用を専門家と検討すべきです。
④ 遺言の動機や感謝の思いを「付言事項」に書き残す
なぜ特定の相続人に財産を多く相続させるのか、その理由や生前の感謝のメッセージを「付言事項(法的拘束力のないメッセージ)」として詳しく記載しておきます。これによって、裁判所に遺言の合理性を伝えることができるだけでなく、他の相続人の心理的な反発や遺留分請求を和らげる効果も期待できます。
5. まとめ
認知症の兆候があるからといって、ただちに遺言書の作成を諦める必要はありません。医学的な証拠を整え、ご本人の意思能力に合わせたシンプルな遺言内容を設計し、公証人が関与する「公正証書遺言」などの形式を選択することで、死後の紛争リスクを最小限に抑えることは十分に可能です。
しかし、認知機能がさらに進行し、完全に意思能力を喪失してしまってからでは、いかなる方法をもってしても遺言書を作成することはできなくなってしまいます。ご家族への最終的な配慮として、心身ともにお元気で、ご自身の意思を明確に表示できるうちに対策を講じることが、何よりも確実な備えとなります。
遺言書作成のタイミングや、ご不明な点がございましたら、当事務所までお気軽にご相談ください。
About
この記事について
- 公開日
- 2026.09.01
- 内容確認日
- 2026.09.01
- 監修
- 荒関誠人(行政書士・中小企業診断士)
参考文献・出典
- 民法(遺言能力・成年被後見人の特則〔民法973条〕)
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